こんにちは。
現在、ゆるめの一日一食生活をしているyamadaです。
「ゆるめ」ですので、1食以外にも果物などとることもあります。
たまーにですが、2食になることも。
今回は、そんなyamadaの一日一食生活についてです。
「不食」といわれる状態に進むためには、一日のうち、まともに食べる一食も、なるべく量を減らしたいわけですが、最近悩んでいたことに結論が出そうなので、
菜食や、不食に興味のある方には良いかと思います。
肉食か菜食か
この半年ほど、肉食菜食か、菜食優先か、単純なことですが悩んできました。
ヨガの指導者や、不食の指導者ジャスムヒーンさんたちの教えに、肉・魚・卵など動物性食品は徐々に減らす、またはすぐにやめること、があります。
私はどちらかというと、この考え方を以前から取り入れようとなるべく肉・魚を減らすようにしてきました。
ですが最近は「糖質制限ダイエット」に象徴されるように、
糖質減や、断糖に関する情報をキャッチするとも増えてきていました。
- 断糖で糖尿病、統合失調症など様々病気が治っていまう事例
- そもそも人類は太古は肉食動物であって、本来は肉食があっている
- 特に品種改良が重ねられてきた小麦は人体に有害
など、「そういわると確かにそうだよな」と納得の情報ばかりです。
「断糖」の中には、米・砂糖・小麦はもちろん、果物、ジャガイモ、大根、ニンジンといった野菜も避ける手法もあります。
じゃあ、何を食べるの?と思いますが、そこは本当に肉・魚・卵など動物性食品を主体にするわけです。
ただし、これは50歳以上の方の場合。
体内の代謝のスタイルが変わり、断糖に適した年代が50歳以上からだからです。
ちなみにこれは西脇俊二さんという方の書籍「断糖のすすめ~高血圧、糖尿病が99%治る新・食習慣~」が参考になります。
そして、特に小麦の弊害については、プロテニスプレーヤーのノバク・ジョコビッチ選手の著作「ジョコビッチの生まれ変わる食事」が衝撃的でした。
(ジョコビッチ選手自体は糖質を否定しているわけではなく、キヌアなどの雑穀やイモ類などもちろん召し上がっています)
これを読むと本当に麦類は食べたくなくなります。
そうはいっても、
「絶品!」と言われる麺類やパンを見ると思わず「美味しそう!」ってなりますけどw
そういいながらも小麦類を食べることは本当に少なくなりました。
「お昼は毎日、ラーメンやパスタ」
という麺好きの方も多くて、「麺類をやめるなんて無理」と思われるかもしれませんが、意外にも数日から1週間もすれば麺類を食べたい、という気持ちは少なくなるんですよ。
お酒、白糖などに比べると、小麦の依存性は低い、
と聞きますが、私には本当でした。
それで、最近結構肉・魚を増やし、極力糖質を減らす生活をしてきたのですが…
それがどうも調子がよくないようで。
睡眠時間も毎日6時間は眠らないとしんどい。
以前は週に何回は5時間くらいの睡眠でよかったのですが。
それで…約半年ぶりに肉・魚を控えて、お米を普通に食べるようにして見ました。
1日にまともに食事をするのは1食のみ。それは変わらずです。
お米を食べると身体が喜んでいるように感じます。
そして、肉・魚を食べないことに関しては、なんというか魂が喜んでいるように感じます。不思議ですが。
ここ数年、スピリチュアルな情報が増えるにしたがって、牛など家畜がさばかれることを想像すると可哀そうに思うようになりました。
「可哀そう」と思うものを食べるのですから、余計だったのかもしれません。
私は海岸地域で育って、魚食文化の中で生きてきましたし、子供のころは釣りは好きでやっていました。
それが、最近は魚も釣りあげられる様子を実際見ると「苦しそう」「可哀そう」と思うようになり…。
魚は生理学的には「快」「不快」「痛い」「苦しい」といった感覚はないという話は聞きますが…。
そんな状態なら、肉も魚もそもそも食べられないんじゃないか?という気もしますが、
テレビCMで焼き肉の映像などを見ると、「美味しそ~!」ってなっちゃうんですよね。
何なんでしょう、人間の精神・肉体というものは…矛盾してます(笑)
お肉が切り身ですでに調理済だったり、魚もお寿司とか丼ぶりといった「料理」になっていると、
彼らの苦しみ・痛みよりも「美味しそう」という肉体の感覚の記憶が、まだ優先されちゃうようです。
じゃあ、どこまで「牛が、かわいそう」で、どこからが「牛肉、美味しそう」になるのか。
あまり見ることはありませんが、と畜場に連れていかれる牛の映像、と畜場で枝肉になって吊るされた様子…。
この辺りは「かわいそう」と感じます。
一方、焼き肉の状態、適度に焼けてタレが付いた状態、これはもう「美味しそう」が優先されます。
その少し前。
お肉の切り身の「生」の状態。
これは「可哀そう」まではいかないけれど、「なんかちょっと嫌な感じ」と思ってしまいます。
そして、この間始めてみたのですが、牛タンの丸ごとの状態。
牛の舌の形、そのまま、です。
これにはもう「牛がかわいそう」となってしまいます。
その後気づいたのですが、ブロックの状態の牛肉。これも筋肉の塊に見えるようです。
自分の筋肉だったら…とか変な想像もしてしまう…
なんとも中途半端な状態なので、自分でもおかしくなってしまいます。
あと、不思議な点がもう一つ。
飼育された家畜の肉と、
野生生物の肉(いわゆるジビエ)
に対する感覚の違いです。
家畜のほうが肉に悲しみ・苦しみが蓄積しているような気がします。気のせいかもしれないけど…
日本の畜産業界では、農家が愛情を込めて牛・豚・鶏を育てていると思います。
それでも日本では完全な放牧は環境や効率面で難しく、多くの時間を牛舎・豚舎・鶏舎で過ごすからでしょうか。
一方、野山を駆け回って過ごしたジビエは不思議と悪いイメージがありません。
「有難く、命を頂戴します」と思えます。
一般の牛肉や豚肉を食べて、舌は美味しいと感じます。
とっても満足感があります。
でも、そんな風に感じる自分をなんかそれも嫌だなと思います。
舌は喜んでも、何か自分の魂が喜んでない感じが、最近してきました。
それでも周りからもたんぱく質が大事だからと、諭されていたこともあり食べていたのですが。
どうやら、魂が「肉体の不調」を通じてメッセージを伝えているようです。
肉・魚を減らして、ごはん・野菜に戻すと魂が喜んでいて、魂の喜びが体を通じて表現されている感じがします。
マインドも体も、ブレブレですが(笑)
魂はブレない、のかもしれません。
最近、ジビエを食べていないのでわかりませんが、
いずれジビエも受け付けなくなるだろうか。
いずれは完全菜へ移行したい。さらに小食、そして不食へすすめればと。
その過渡期なのか。
こればっかりは、成り行き任せ、宇宙まかせかと感じています。
・・・
以上、今回は「食」についてでした。
乱筆失礼しました。